日蓮宗ってどんな宗派なの?その教えや特徴についてご紹介

はじめに

日蓮宗は時の権力者と真っ向から対立し、波乱の生涯を送った鎌倉時代の僧侶「日蓮」により開かれました。
そこで今回は、開祖日蓮の知られざる一面や、日蓮宗の概要と歴史について、ご紹介していきます。

日蓮宗とは?

日蓮宗ってどんな宗派なの?その教えや特徴についてご紹介
日蓮宗は鎌倉時代に始まった日蓮を開祖とする仏教宗派で、仏教開祖のお釈迦様(ブッダ)が説いた妙法蓮華経(法華経)を、唯一の拠り所にしています。
日蓮は平安時代の伝教大師として知られる「最澄」により開かれた「天台宗」の「身分に関係なく誰もが平等に成仏できる」という法華経に、大きな影響を受けました。
その後、日蓮は妙法蓮華経の頭に仏教に帰依することを意味する「南無」をつけ、全ての信者が「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と、唱える「題目唱和」こそが、世を救う至上の教えと定義します。

更に、天台宗以外の全ての宗派(浄土宗、曹洞宗など)を「権力にすり寄るエセ宗派」と定義して激しく糾弾、民衆に対しては「お前ら南無妙法蓮華経を唱えなければ国が滅ぶぞ!」という、過激な宗教活動を行ったため、日蓮は鎌倉幕府から厳しい弾圧を受け続けます。
しかし、このような日蓮の捨て身の行動が、相次ぐ戦乱で飢饉が続き、疲弊し切った貧しい民衆の心を捉えて御家人などの有力者が少しずつ味方し、信者を大きく増やすきっかけとなりました。

日蓮の死後は後を託された6人の直弟子たちにより、過激な宗教活動が自粛され始め、日蓮宗の内部で分裂が起こります。
そして次第に穏健化する日蓮宗と、日蓮の遺志を汲んだ激しい教えを尊ぶ「日蓮正宗」の2派に分かれ、現代に伝えられて行くことになりました。

日蓮宗と日蓮正宗の違いは?

日蓮宗と日蓮正宗の最大の違いは、それぞれの宗派が拠り所にする「本仏」です。
日蓮宗の本仏がお釈迦様であるのに対し、日蓮正宗の本仏はあくまで日蓮としています。
つまり、日蓮宗は本仏をお釈迦様にすることで、敵対していた他宗派との融和を図り、信者を幅広く獲得するための土台にしたのです。

これらは前述の直弟子6人の「日興、日昭、日朗、日向、日頂、日持」うち、日向が日蓮宗を後援する有力御家人「南部実長(波木井実長とも)」と結びついて始めますが、これは完全に開祖日蓮の教えに背く振る舞いです。

日向のやり方に納得できない筆頭格の直弟子の1人「日興」は激しく反発し、日蓮宗の総本山だった甲斐国(山梨県)身延の「久遠寺」から、自分が育てたわずかな弟子たちを連れて退去します。
そして1290年、日興は上野郷(静岡県富士宮市)の地頭(地方領主)「南条時光」の要請で、大石ヶ原に「大石寺」を建て、日蓮正宗を開きます。
日興を開祖とする日蓮正宗では、本仏を日蓮とする以外にも「自派の教えのみが尊い」とし、世界中のあらゆる神仏を認めず、他宗派の仏閣や神社教会への参拝や寄付を、現在でも厳しく制限しています。

日蓮正宗と創価学会の関係性

創価学会は戦前に目白商業学校の学校長だった「牧口常三郎」と、教師だった「戸田城聖」が日蓮正宗に傾倒し、1930年に「創価教育学会」を作ったのが始まりです。
1937年には創価教育学会が正式に日蓮正宗の関連宗教団体として認められ、第二次世界大戦後の1946年に「創価学会」と改名します。
以後両者の関係は、1991年に日蓮正宗本部が創価学会を破門するまで、54年間も続きました。

なぜ破門に至ったかについては諸説ありますが、一番の原因は1947年に入信してのちに創価学会3代会長まで登りつめた「池田大作」を、学会内で過度に神格化し、日蓮を貶めたことが、日蓮正宗本部の逆鱗に触たからだと言われています。

日蓮宗の歴史

日蓮宗ってどんな宗派なの?その教えや特徴についてご紹介
日蓮が生まれ育った鎌倉時代初期(1,185~1,240年)は、大規模な戦乱や自然災害が頻発し、民衆の多くが貧窮していた時代でした。
しかし、既存の宗教団体は民衆の救済よりも、時の権力者である北条氏との結び付きを優先し、優雅な暮らしを送っていました。

そのような状況の中、民衆の味方として現れたのが、日蓮宗を始めとした浄土宗・浄土真宗・時宗・臨済宗・曹洞宗などの「鎌倉新仏教」です。
特に日蓮宗は過激な宗教活動をすることで知られ、「末法無戒」という従来の細かい仏教戒律を無用のものとし、その殆どを廃止しました。
そして、当時忌み嫌われていた肉食や妻帯をしても、南無妙法蓮華経さえ唱えていれば「誰でも成仏できる」という、単純明快な教えによって、信者の獲得にも成功します。

その後、勢いに乗った日蓮は「立正安国論」という警告文書を、鎌倉幕府に公然と突きつけます。
その内容は「お前ら権力者が浄土宗など、他宗派の邪法を信じているから世の厄災が相次いでいるのだ!直ちに悔改め法華経を国の中心とせよ!」(意訳)という激烈なものでした。

当然、鎌倉幕府からは危険視され、日蓮は伊豆や佐渡ヶ島に流罪になるなどの大弾圧を食らい、激昂した他宗派信者からの襲撃を、繰り返し受け続けます。
しかし、日蓮の死後はその直弟子たちにより、教義が大きく改められ、現在では5千以上の寺院と、信者350万人以上を数える、日本の一大宗派となりました。

日蓮宗の教え

日蓮宗ってどんな宗派なの?その教えや特徴についてご紹介
日本の数ある仏教宗派の中で、開祖日蓮の名前が使われているのは日蓮宗だけです。
つまり、信者の間では開祖である日蓮の存在が非常に大きく、戒律よりも南無妙法蓮華経と唱えることが、何より優先されるという、非常に風変わりな宗派と言えます。
この章では日蓮宗における重要性の高い教えを3つご紹介します。

法華経の絶対視

日蓮は最澄が開いた天台宗の教えの中から法華経を絶対視し、これ以外の宗派や戒律を完全否定していました。
法華経とは「誰でも等しく仏になれる」という、身分の上下に全くこだわらない仏教思想で、当時としてはある意味、革命的かつ危険な考え方でした。
ここに日蓮が目をつけ、街角に立って直接民衆に話し掛ける「辻説法」という手法で、法華経の教えを爆発的に広めて行きました。
この法華経思想は現在でも変わらず、日蓮宗の最も重要な教えとされています。

唱題成仏

唱題成仏とは南無妙法蓮華経という1つの題目さえ唱えれば、「信者は等しく即身成仏できる」という教えです。
しかし、日蓮宗以外の他宗派における即身成仏とは、長く苦しい修業を経て、悟りを開いて仏になることを意味しているので、入信した信者全員が即身成仏できるわけではありません。
つまり、日蓮宗のみが唱題成仏に身を捧げれば「信者は全員等しく仏になれる」としています。

五綱教判

五綱教判とは「教・機・時・国・序」を表し、簡単に言えば法華経が「唯一至上の教え」という意味です。
これらはお釈迦様が唱えた「末法思想」が元になっており、末法とは世の中も人の心も最悪な状態にあることを指しています。

教とは法華経で人々を末法から救済することで、機とは人の素質や能力を表し、人々の能力や素質が著しく低下した末法から救うのが法華経だ、という具合に、世の中の全てを法華経の五綱教判で救い上げることこそが、我々の至上命題だと説いた教えです。

また、法華経は時間と空間を超越した存在で、森羅万象どんな重大事項よりも優先されなければならず、地球だけでなく全宇宙的に考えても「絶対的に正しいこと」を五綱教判という言葉で表しています。

日蓮宗の総本山と主要な寺院

日蓮宗ってどんな宗派なの?その教えや特徴についてご紹介
日蓮宗には開祖日蓮にちなんだ主要な寺院があります。
今回は日蓮宗の総本山、身延山久遠寺を始め、池上本門寺、誕生寺の3つを取り上げ、その特徴や見どころをご紹介します。

身延山久遠寺(山梨県)

身延山久遠寺は開祖日蓮が宗派の総本山とした寺院で、現在では多くの信者が参拝に訪れ、山梨県有数の観光地になっています。
樹齢400年と言われる大枝垂れ桜や、日蓮が実際に暮らした草案跡、カエデの紅葉が素晴らしい祖師堂などが見所として有名です。

池上本門寺(東京都)

東京大田区の池上本門寺は、日蓮が弘安5年10月13日に入滅した場所として有名で、日蓮宗大本山の1つに数えられます。
参道には桜の大木が多く生えており、春から夏に掛けて多くの参拝客で賑わいます。
また、広い境内には安土桃山時代に建てられた五重塔を始め、宝塔や日蓮坐像など国の重要文化財に指定されている建物が並んでいます。
ちなみに、松涛園は幕末の際に江戸城の明け渡しをめぐり、西郷隆盛と勝海舟が和平会談を開いた場所としても有名です。

誕生寺(千葉県)

千葉県鴨川市の誕生寺は日蓮宗大本山の1つで、その名の通り日蓮の誕生を記念して弟子の日家が1276年に建立しました。
ただし、当時の誕生寺は2度の大地震や大津波の影響で海中に没しており、現在の建物は江戸時代に「水戸黄門」として有名な水戸藩2代藩主「水戸光圀」の尽力で再建されたものになります。
現在では、日蓮宗発祥の地として数多くの信者に慕われ、有形文化財の仁王門や本堂、宝物殿などが見どころになっています。

日蓮宗の冠婚葬祭の特徴

日蓮宗ってどんな宗派なの?その教えや特徴についてご紹介
日蓮宗の冠婚葬祭は他の宗派でよく唱えられる「南無阿弥陀仏」は一切唱えず、あくまでも南無妙法蓮華経で統一されるなど、進行方法や作法にかなり違いがあります。
そこでこの章では、日蓮宗の葬儀と結婚式の特徴をご紹介します。

葬儀

日蓮宗では戒名のことを「法号」と呼び、お布施は「ご供養」と呼びます。
実際の葬儀では、日蓮の教えである「南無妙法蓮華経」を導師(僧侶)だけではなく、会葬者全員で何度も唱えます。

葬儀が進行すると導師が、独特な銅鑼や太鼓を打ち鳴らし、遺体の入った棺の蓋を中啓(扇子)で3回叩いて開棺します。
焼香は3回行うことが作法になっていますが、近年では進行や時間の関係上、1回のみで済ませることが多いです。

結婚式

日連宗の結婚式とは、昔ながらの「仏前結婚式」のことを指しますが、様式については他宗派のものと大きな違いはありません。
まず服装は新郎が紋付き袴姿、新婦は髪を文金高島田に結い上げ、白無垢の着物と打掛を着て綿帽子を被り、新郎新婦が揃って本堂に入場します。

次に両家の親族が紹介され、僧侶が読経したあとに「念珠授与」として赤房の数珠が、新郎と新婦に僧侶から贈呈されます。
新郎新婦が仏前で誓いの言葉を述べると、「授証」という正婚允可証(せいこんいんかしょう)が僧侶から授与され、新郎新婦と双方の両親と親族が、三三九度の固めの杯を交わします。